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10.夢の理論
 これまでに提案されている夢の理論は、ほとんどがレム睡眠中の夢を対象にしており、以下の6つの理論はその代表的なものである。

1)Fisher仮説:1966年に提唱された理論で、「夢は本能的衝動を放散させるために生起する」としている。レム睡眠は外界の緊急事態に備えて、あらゆる生存戦略を活性化させる準備状態であり、夢はその機能的興奮を発散させるように働いている。夢の中で現在の問題や葛藤が発散的に処理されるので、覚醒中の生活をより適応的に過ごすことが可能になるという。レム睡眠を選択的に遮断すると、食欲や性欲が高進したり、感情のコントロールが不安定になり、軽躁状態になったり、ひどく怒りっぽくなったりすることは、この説を支持するものと考えられている。「夢は衝動の放散(Freud,S. 1920)」という概念を支持するもので、精神力動仮説とも言われている。

2)Jouvet仮説:1978年に提唱された理論で「夢は行動プログラムの作成と模擬演習の内容を反映して起こる」と考えられている。脳はレム睡眠中に、遺伝子に蓄えられた情報を読み出して神経回路を機能的に整備し、生存戦略に必要な行動のプログラムを作る。さらに、出来たプログラムが実際に実行可能なものか、脳内でシミュレーション(模擬演習)が行われる。夢はこのプログラムの作成とシミュレーション中に生起するという。プログラムの作成とテストを円滑に行うためには、脳は実際の感覚入力の処理を最小にしておく必要がある。また、行動プログラムのシミュレーション中に、テスト指令が実際の行動に移されては、睡眠を安全に維持管理することはできない。レム睡眠中の脱力現象は、睡眠状態を維持しながら行動のプログラムを作ったり、テストしたりするのに好都合である。脳が急激に発達する出生前後の睡眠で、レム睡眠が大半を占めることもこの理論を支持するものと考えられている。

3)Winson仮説:1985年に提唱された理論で、「夢は記憶の再生と再処理過程で生起する」というものである。覚醒中に脳が処理した情報のうち、重要なものがレム睡眠中に再生され、改めて編集処理され洗練化された情報が記憶として固定される過程が、夢となって現れるとしている。この理論の根拠としては、海馬(古い大脳皮質)が記憶処理を行っている時には、律動的なシータ波が出現するが、レム睡眠でもこの海馬シータ波が出現する。レム睡眠は新生児に大量に出現し、脳神経の成長を促進する。2歳頃になるとレム睡眠の出現時間は次第に減少し1日あたりの総量は2時間以下になる。この頃にノンレム睡眠とレム睡眠の順序性が確実になり、睡眠周期が出来上がるが、海馬が記憶処理機構として働き始めるのも丁度2歳頃からである。それで、レム睡眠が記憶を助ける機能を開始するのは2歳頃からであり、記憶処理過程が夢となって現れるのもこの頃からであろうと考えられる。こうして人は「覚えるために夢を見る」ようになるという。

4)Crick-Mitchison仮説:DNAの2重らせん構造の発見でノーベル生理医学賞を受賞したCrickらの理論で、1983年に続いて1986年に改訂版が出ている。「我々は忘れるために夢を見る」という考えを発表して話題を呼んだ。人の脳は複雑に発達した神経回路網で出来上がっているが、処理する入力情報も膨大なので、負担がかかりすぎると神経回路網が混乱し、誤った情報が発生しやすくなる。また、覚醒中に取り込んだ情報の全てが有用とは限らない。そこで脳は不要な記憶を取り除いて負担を軽くするとともに、神経回路網の中にある混乱した情報や誤った情報を消去する作業が必要になった。夢は記憶から消去された情報が素材となって現れたものであるという。コンピュータ・シミュレーション研究ではシミュレーション精度を上げるための操作として、余分な情報やプログラムの誤り(バグ)を除去したり修正したりする作業が繰り返し行われ、これを逆学習という。神経回路網の余分な情報や誤った情報を除去する作業は、この逆学習に相当するので、彼らの説は「夢の逆学習説」とも呼ばれる。現在までのところ支持する生理学的な知見に欠けており、実証性に乏しいとされている。

5)Hobson-McCarley仮説:1977年に提唱されてから少しずつ改訂され、1988年に「活性化ー合成化仮説」としてまとめられている。彼らの説では、夢は覚えるためでも、忘れるためでもない。レム睡眠中に脳幹内部からランダムに発する神経信号が大脳皮質に到達してこれを活性化させ、これによって発生した感覚心像をつなぎ合わせ、合成したものが夢であると考えている。このような神経信号としては、レム睡眠の中枢である橋(P)から外側膝状体(G)を通って後頭皮質(視覚野:O)に伝達されるPGO波が代表的であり、PGO波はレムとも密接な関係を持っている。脳幹からの神経信号でレムが起こったり、後頭視覚野が興奮して夢が合成されるという考えは、健常者の夢の80%以上が視覚心像を伴なっていること対応している。彼らの最近の説では、この視覚心像が夢となるためには連想や記憶の過程が必要であり、これらの過程が関与することにより、夢の内容は深層心理学的な意義があるとしている。

6)大熊仮説:1988年に提唱され、「感覚映像−自由連想仮説」と呼ばれている。夢はある偶発的な視覚映像から出発する連想ストーリーと考えられている。PGO波や眼球運動(レム)など皮質下の感覚・運動情報が記憶システムを賦活して、記憶の貯蔵庫から感覚心像(映像)が取り出される。最初に取り出された映像は非特異的な信号で取り出されたものであるから、偶発的で理論的な必然性はほとんど持ち合わせてはいない。しかし、この映像をきっかけに連想が生じるので、2回目のレムで取り出される映像は、現在取り扱っている思考や夢の文脈との関係から、連想関係にある記憶情報が検索され、夢の資源として取り出される。こうして皮質下の感覚・運動情報が皮質に到達する度に、記憶貯蔵庫から映像が取り出され、夢のストーリーが展開して行くとしている。ノンレム睡眠や入眠期では、このような皮質下からの感覚・運動情報が無いため皮質興奮も起こらず、夢内容の展開が乏しく、断片的であったり思考に近いものにとどまってしまうと考えられる。このように考えると、夢の生成過程は覚醒時のそれとは異なるにせよ、自己意識のコントロール下に置かれており、自由連想の展開をたどれば、夢内容がその時その時の人の精神内界を良く反映することが説明できる。

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