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8.2種類の異なる睡眠調節機構―神経機構と液性機構
 睡眠は脳の仕事であるとともに,眠るのも脳である。それゆえ,脳は眠らせる脳眠る脳に分れている。眠る脳とは,系統発生および個体発生のうえで最も新しい大脳である。大脳が休息するので,その支配下にある全身各部にさまざまな睡眠の症状が現れるのである。
 眠らせる脳は,2種類の睡眠を,2種類の法則によって調節するが,睡眠調節機構自体も2種類に分化している。すなわち,ニューロン活動にもとづく神経機構と睡眠物質にもとづく液性機構とであり,両者の相互作用のもとに睡眠覚醒状態が動的に修飾されている。
神経機構 レム睡眠とノンレム睡眠の睡眠のそれぞれに対して,眠らせる脳は複雑な階層性の神経回路を構成している。しかし,その分化の程度はあまり特殊化したものでなく,広範囲な構造の中に散らばっている(図7)。レム睡眠の中枢は古い脳のなかでもより古い中脳,橋,延髄に,またノンレム睡眠の中枢は古い脳のなかでもより新しい視床下部に首座を置いている。そして,それぞれに隣接して覚醒中枢が局在する。
 神経機構では,ニューロンが神経繊維をつないで神経回路を形成し,電気的なパルスによって相互に密接に交信しあっている。このようなニューロン活動を支える化学信号として,各種の神経伝達物質が知られている。神経伝達物質はニューロン間の接点すなわちシナプスで放出される化学物質である。ニューロンが電気的なパルスを発信すると,これに対応してシナプスでは特定の神経伝達物質が放出され,相手のニューロンの活動を促進させたり抑制させたりする。それぞれが動的な変化をしながら,ニューロン回路内の情報伝達を担っていて,結果として睡眠調節に関与している。

図7 眠る脳と眠らせる脳
[井上昌次郎.睡眠・覚醒・睡眠物質.精神活動の流れを遡る―機能・構造・物質―,早石修,伊藤正男編,メディカル・ジャーナル社,東京,46-48,1995]

液性機構 最近の研究から,生体内のさまざまな条件が体内物質の動態に微妙な影響を及ぼし,その結果として睡眠が修飾されることがわかってきた。睡眠物質は現在では数十にものぼり,多種多様である。睡眠物質は,睡眠欲求の高い状態で脳内あるいは体液内に出現して睡眠をひきおこしたり,維持させる物質の総称である。睡眠物質は,脳脊髄液を介して脳全域に伝えられ,ニューロン活動を広域的に修飾することによって睡眠と覚醒をコントロールしている。生体内のさまざまな条件が多数の睡眠物質の動態に微妙な影響を及ぼし,その結果として睡眠が修飾されている。
 たとえば,ウリジンと酸化型グルタチオン睡眠促進という2つの睡眠物質が睡眠促進にかかわる役割は,分別的ならびに相補的である。ウリジンは,脳内で最大の抑制性のニューロン群であるガンマアミノ酪酸作動性ニューロンの神経伝達活動をシナプスレベルで促進する。対照的に,酸化型グルタチオンは脳内で最大の興奮性のニューロン群であるグルタメート作動性ニューロンの神経伝達活動をシナプスレベルで抑制する。そして,結果としてともに睡眠を促進するのである(図8)。
 これらの睡眠物質はさらに,高次の脳機能の修飾にも参与していると考えられる。ウリジンはニューロン活動機能の回復ないし新生や,新規情報の消去に貢献しているらしい。酸化型グルタチオンは還元型グルタチオンとの連関のもとに,ニューロンの過剰な活動によって生じる細胞毒を解毒して,細胞膜の傷害や細胞死を防ぐとともに,過度の学習および記憶を抑制することにも貢献しているらしい。こうして,睡眠は脳細胞の修復や解毒の過程であるらしいことがわかり,睡眠という行動レベルの現象が,分子レベルでは脳内のニューロンを保全する役割を担っていると推理できる。

図8 睡眠促進物質ウリジンとグルタチオンの作用機構
BDZ: ベンゾジアゼピン,GABA: ガンマアミノ酪酸,Gln: グルタミン,Glu: グルタミン酸,GS: グルタミン合成酵素,GSH: 還元型グルタチオン,GSSG: 酸化型グルタチオン,GT: グルタミン分解酵素.
[Inou* S. Sleep-promoting substance (SPS) and physiological sleep regulation. Zool Sci 10: 557-576, 1993]

 成長ホルモンは生体を積極的に構築したり修復したりするために重要なホルモンであるが,成長ホルモンを放出させる脳ホルモンは特定の睡眠物質と同時に分泌され,ともに睡眠を促進する。その時間帯は熟睡期と同調している。つまり,生体は熟睡状態を利用して,自己の保守点検や成長を定期的に実行するのである。ストレス状態では不眠がおこりやすいが,このとき分泌される副腎皮質刺激ホルモンには睡眠を抑制する作用がある。睡眠はまた免疫増強過程と密接にかかわっている。生体がウイルスや細菌に感染すると,それらが体内で分解されて生じた物質が,インターロイキン1やインターフェロンなどのサイトカイン類の生産を促進して免疫学的な生体防御反応を誘発するとともに,発熱とノンレム睡眠を誘発する(図9)。それゆえ,感染後に出現する眠りは,生体防御ないし免疫増強の重要な一翼を担っている。
 このように,生体はホルモンや免疫関連物質,異物や毒物,さらには代謝産物までも活用して,たくみに眠りを調節している。睡眠機能のもつ多目的性ないし多様性は,これらの例からも理解できよう。

図9 ウイルスおよび細菌による免疫,発熱,睡眠の増強過程
dsRNA: 二重鎖リボ核酸,GSSG: 酸化型グルタチオン,LPS: リポポリサッカライド,TNF: 腫瘍壊死因子,VIP: 血管作動性ポリペプチド.
[井上昌次郎.睡眠調節と睡眠物質.精神医学レビュー 4: 17-23, 1992]


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