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9.ヒトの睡眠の特殊性と多様性
 ヒトの睡眠とほかの哺乳動物の睡眠は,生物学的には本質的に同じである。ノンレム睡眠とレム睡眠とが組み合わさって睡眠単位が構成されていること,生物時計の管理下に1日周期のリズム(概日リズム)を示すこと,眠りの不足分をはねかえり睡眠として埋め合わせることなど,すべて共通している。
 しかし,動物たちはヒトのように連続して長く覚醒しつづけたり,連続して長く眠りつづけることはしない。つまり,1日に何回も眠るパターンを(多相性睡眠)を示す。これに対し,複数の睡眠単位をつないで1日1回の長い睡眠期(単相性睡眠)にすることによって,概日リズムの休息の位相と同期させてしまったのが典型的な現代人の眠りである。
 これは学校や職場の時間割りに拘束されて,睡眠は人為的な制約のもとに,社会的ないし文化的に管理されるためである。つまり,ヒトの睡眠は自然のままではなく加工されたものである。しかし,高等動物の頂点に位するとされるヒトの睡眠も,ほんらい多様性に富むものである。多様性ゆえに私たちの睡眠はたいへん個性に富んでいるから,自分なりに工夫して快眠法を開発できる可能性がある。社会では1日に8時間寝ることが基準であるとみなす傾向があるが,ヒトもまたさまざまな生きざまとともに,さまざまな寝ざまを実行できる素質や能力をもっている。睡眠の差異が生じる主な要因を列挙してみよう。
睡眠の年齢差 睡眠の質と量は年齢に大きく依存する。胎児期や新生児期の睡眠は未分化で睡眠総量が多く,昼夜にわたって小刻みにくりかえされる。幼児期の睡眠は昼夜リズムと同調し,昼寝がすくなくなって夜に連続した長い眠りが出現すること,そのなかでノンレム睡眠が先行しレム睡眠が後続する睡眠単位が確立すること,深いノンレム睡眠が多いことなどが特徴である。
 思春期から成人期にかけては,睡眠は社会的文化的に管理されるようになり,睡眠総量は減少する傾向を示すが,個人差も大きくなる。一般に深いノンレム睡眠が多いパターンが継続する。中高齢期の睡眠は加齢とともに進行する質の劣化が特徴である。睡眠時刻のずれ,深いノンレム睡眠の減少,中途覚醒の増加による分断化,昼寝や居眠りの出現などである。
睡眠の男女差 女性には思春期から更年期までを特色づける月経周期や妊娠と哺乳の期間があってホルモン分泌の動的変化を伴う。卵胞ホルモンと黄体ホルモンは,それぞれ眠気に抑制と促進の効果をおよぼす。哺乳期間中は,ホルモンのみならず乳児の小刻みな睡眠−覚醒リズムの影響で,母親の眠りは分断されることになる。更年期以後の女性に不眠が増える傾向は男性よりも著しい。とはいえ年齢をとおして平均すれば,いっぱんに睡眠の質的内容は男性のほうがはるかに劣る。睡眠時の呼吸機能が男性で弱いからである。睡眠時無呼吸症候群と呼ばれる疾患は不眠や過眠の原因となるが,これは圧倒的に中高年男性に多い。新生児突然死症候群も睡眠中の呼吸障害と考えられ,これも男児に多い。
睡眠の個人差 毎夜6時間未満寝る短眠者,9時間以上寝る長眠者は遺伝的な素因にもとづく傾向があるが,必ずしも固定されたものではなく同一人で変動することもある。短眠と長眠との決定的な差は,睡眠の質の違いである。短眠者は睡眠効率がよく,しかも深いノンレム睡眠の割合が多いのに対し,長眠者は浅いノンレム睡眠,レム睡眠,中途覚醒の割合が多い。入眠時刻あるいは起床時刻に関しては,早寝早起きの朝型(ヒバリ型)と宵っぱりの朝寝坊の夜型(フクロウ型)という個人差がある。
睡眠の季節差 多様な気象条件が人間の睡眠パターンに影響をおよぼしている。「春眠暁を覚えず」とか「寝苦しい熱帯夜」(夏)とか「燈下親しむ候」(秋)といった常套句があって,季節が睡眠ないし意識水準に大きくかかわっていることがよく言い表わされている。日本人の睡眠は盛夏の7〜8月に有意に短く,晩秋から初冬の11〜12月に有意に長くなる。この傾向が増幅された季節性感情障害という疾患が昼夜の時間差の大きな高緯度地帯で知られている。とりわけ,冬季に鬱病のような症候群が現われる。
睡眠の文化差 私たちは日中ずっと勤勉に起きていて,眠りを夜間に連続してとるのがあたりまえと思っている。この眠りのパターンは,一部の文明社会で働いたり学んだりしている限られた人たちだけが実行しているもので,かなり特殊なものである。しかもこの眠りのパターンは,自然な生理的欲求を抑圧して,文化ないし社会の規律を強制する人為的なものでもある。
 幼児期の習慣であった昼寝は,学齢期になると許されなくなる。社会で働く人々についても同様である。自宅での昼寝はともかく,学校や職場での昼寝や居眠りは悪徳だとする考えがわが国では普遍的である。昼寝を休息の必要性のあらわれとして社会が容認するかどうかで,成人の睡眠パターンに昼寝が組み込まれるかどうかが決まってくる。人間の眠りは生理的な欲求よりも文化的拘束面のほうが優先するのである。
 多くの文明国で昼過ぎの眠気に逆らって仕事をすることによって,能率の低下にとどまらず,判断の誤りや交通事故などがこの時間帯に多発している。もちろん,主睡眠期の夜間にむりして働く場合には,さらに深刻なさまざまな問題が発生する。これらの現象は自然の原理を軽視したつけであろう。
睡眠の異常 睡眠障害とは,ヒトの睡眠と覚醒に関連する多様な疾患のすべてを指す用語である。睡眠障害のなかには,高次の精神活動にかかわる異常から,身体上の末梢的な疾患に起因する二次的な異常まで,さまざまな疾患が多数含まれている。睡眠障害の分類には,1990年に新たに「睡眠障害国際分類」が公表された。新しい分類法によれば,睡眠障害は4群88種類にに分けられている。

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